Kindle Fireは電子書籍市場をどう変えるのか
ついに登場したAmazonタブレット
2010年にiPadが発売されて以来、パソコンよりも手軽に使えるタブレットは大きな注目を集め、パソコンメーカー各社もこぞってタブレットの開発に乗り出すことになりました。しかし、iTunes StoreやApp Storeを擁し、既存の膨大なコンテンツが利用できるiPadに対し、デバイスだけを販売する仕組みではデバイスのスペックしか売りになるものがありません。それだと、ユーザーへの訴求力という点で劣るのは否めず、またスペックを高めるとそれだけ価格も上げざるを得ないため、相対的に魅力が減じてしまい、その多くは苦戦を強いられています。
iPadの牙城は当分崩れそうにないと思われていたところに、ようやく本当の意味でのiPadのライバルになりえる存在が登場しました。それが、この9月28日にAmazon社から発表された同社初のタブレットデバイス「Kindle Fire」です。
Amazonは2007年から電子書籍専用端末Kindleを発売、今や年に数百万台を売り上げる大ヒット商品に育て上げました。このKindleは白黒の電子ペーパーを使ったデバイスであり、紙に近い見え方で眼に優しく電池の持ちが圧倒的であるといった特徴がありますが、カラー化が難しく、また、動画には対応できないなど、書籍ビューワ以外の用途には十分対応できないものでした。
新たに発表されたKindle Fireは、ディスプレイに7インチIPS液晶を採用、OSにはAndroid 2.3をベースにAmazonが徹底的にカスタマイズを施したものが使われており、Kindle Storeを始めとしてAmazonの各種サービスがデフォルトで使えるようになっているとのことです。もちろん、他のKindleと同様、出荷時にAmazonアカウントが設定されるため、届いて電源を入れればすぐ、面倒な手続きなしにKindle Storeなどから商品を購入することが可能です。
ネットワーク機能はWiFiのみですが、ブラウザに新開発のAmazon Silkを採用したというのが注目すべき点です。このブラウザを使うと、デバイス上とAmazonのクラウドコンピューティングプラットフォームで処理を分担して行うことで高速化が図られます。
タブレット単体としてみると、iPadや他社の同種デバイスよりスペックが劣るようにも感じられますが、システム全体を最適化して提供することで、単なるタブレットだけでは得られないユーザー体験が得られるわけです。
そして何より衝撃的だったのが199ドルという価格でした。最低バージョンでも499ドルからというiPad2の価格と比べて300ドルも安いのです。多くのタブレットはiPadを基準に500ドル前後で提供していましたから、Kindle Fireの価格に衝撃を受けたメーカーは少なくないはずです。
欧米では199ドルだと原価割れするはずだという分析記事も現われましたが、Amazon社の幹部のインタビューによると原価割れはしていないそうで、調達コストの面でのAmazon社の努力は相当なものであることを窺わせます。
ちなみに、従来の電子ペーパーを搭載したKindleも新たなバージョンが3機種登場しています。こちらも広告付き79ドルという衝撃的な価格の機種が目を引きますが、それ以外にタッチパネル対応の機種が登場するなど、さすがにニーズを的確に捉えているという印象を受けます。
デバイスよりコンテンツを優先するアマゾン
日本で電子書籍およびタブレットブームの火付け役となったiPadも、iBook storeで日本語書籍がほとんどなく、アプリ形式で供給される出版コンテンツもそれほど増えていないため、当初言われていたような電子書籍のビューワとしての使い方ができているわけではありません。一方、アメリカでも、電子書籍にはタブレットよりKindleやNookなどの専用デバイスのほうが一般的に使われているようです。
もちろんApp StoreにはiPadで使える膨大なアプリがありますし、パソコンの代わりとして仕事で使う動きも始まっていますが、ユーザーの多くは、主に音楽やゲーム、動画を手軽に見るためのメディア端末およびWebサイトやメールの閲覧のためのネット端末としての使い方が主なようです。
Kindle Fireが想定しているのも、まさにこういった使い方です。そしてこの使い方であれば、Kindle Fireはスペックで優るiPadにも他のタブレットにも引けを取らない製品として受けられるはずなのです。
元々インターネット通販ではトップシェアを誇るAmazonは、2007年の電子書籍への進出で成功すると、続いて音楽、動画などの配信サービスを次々に開始しており、ゲームなどAndroid用アプリの配信もAmazon Appstoreで行っています。
つまり、iPadの最大の特徴であり他社が太刀打ちできない要因であった魅力的なデバイスと魅力的なコンテンツの有機的な融合が、Kindle Fireであれば実現できるわけです。
では両者は同じかというとそうではありません。結果として同じような形になっていても、方向性は逆なのです。Appleはあくまでデバイスに重心があり、Amazonはコンテンツの販売をより重視しています。要するに、iPadを売るためのコンテンツとしてあるのがAppleのiTunes StoreやApp Storeであり、コンテンツを売るためのデバイスとしてあるのがAmazonのKindle Fireだというわけです。
こういう考え方だからこそ、Kindle Fireは闇雲なスペック強化をせず、メディア端末およびネット購入端末としての機能に特化し、驚異的な低価格で提供することができたに違いありません。
Kindle Fireはさまざまなメディアで使う端末として作られていますが、そこにはもちろん電子書籍や電子雑誌も含まれます。ヒット間違いなしと言えるデバイスであり、我々としても非常に気になる存在ですが、米国限定販売で、今のところ日本で販売される予定はありません。もちろん、今後売るつもりがないなどというはずはありませんが、コンテンツ重視のAmazonとしては、まずコンテンツの供給を確保しないとデバイスを販売する意味がないのでしょう(結局日本ではKindle Store開設後の2012年12月に第二世代Kindle Fireが発売された)。
Kindle Fireの登場によって、メディア全般を網羅する低価格なプラットフォームが誰もが納得できるだけの質・量で実現することになりました。Amazonはコンテンツ提供の電子化が進んだ地域からこのシステムを提供していくことになるでしょう。日本でいつこの動きが現実化するか、電子出版の今後を占う上でもますます重要になってきました。
(田村 2011.10.17初出)
(田村 2016.11.7更新)