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名作解体新書 勧進帳

八百年以上の昔、二つの家が日本の覇権をめぐって血みどろの抗争を繰り広げました。皆さんご存知の源氏と平家の争いです。この時代の話は、「源平物」と呼ばれ、歌舞伎や能といった後世のさまざまな芸能で題材にされてきました。

たくさんの源平物の中で最大のヒーローと言えるのが源義経です。源氏の棟梁の息子として生まれ、平家全盛の中、牛若丸として鞍馬山で修行、成長後の源平の戦いでは一の谷、屋島、壇ノ浦と平家を撃破、ついに滅亡へと追い込んだ義経ですが、戦いの後、兄頼朝と不和になり、逃げ延びた奥州平泉で悲劇的な最期を遂げることになります。

多大な功績を挙げながら非業の死を余儀なくされた義経に対しては、昔から日本人の同情が集まり、「判官贔屓」(ほうがんびいき)という言葉まで生まれました(義経のことを九郎判官義経と言う。これは義経が源義朝の九男であり、検非違使の判官という役職に付いていたため)。伝説的な豪傑である武蔵坊弁慶とともに史上最大のヒーロー主従と言えるでしょう。

さて、頼朝に追われ奥州藤原氏を頼って北陸から落ち延びていく際、義経一行は「安宅関」(あたかのせき)と呼ばれる一つの関所を通ることになります。関所には鎌倉からのお触れが既に廻っており、義経と分かれば捕らえられることは火を見るよりも明らか、そこで義経一行は山伏に化けて奥州に逃げていこうとします(山伏に化けて奥州に落ち延びたことは『吾妻鏡』などにも見られるので史実と思われる)。

あくまでも山伏として関所を通ろうとする義経一行、そしてそれを見破ろうとする関所役人の間の緊迫したやり取り、安宅関におけるこの出来事は室町時代になって能になりました。それが『安宅』です。

能というと、能面をつけた過去の亡霊などが主人公で、前場と後場の二段構成になっている「複式夢幻能」が有名ですが、『安宅』は「現在能」と呼ばれ、現実の人物だけが登場します。また、面もつけず(直面(ひためん)という)、構成も一場のみと、一般的な芝居に近く、劇的で分かりやすい人気作品です。

山伏に化けた義経一行が安宅の関に差し掛かると、富樫という関所の役人に呼び止められます。弁慶は「我々は東大寺再建のために寄付(勧進)を集める僧だ」(ちなみに東大寺は平重衡によって1180年に焼き討ちされた)と言い逃れようとしますが、鎌倉からのお触れには義経たちが山伏に化けているということまで書かれており、嫌疑は晴れません。

そこで、弁慶は山伏の由来を語り、山伏を討つと仏罰が当たると富樫を脅しにかかります。本物の山伏なら勧進帳があるだろうからそれを読めと富樫に言われた弁慶は、たまたま持っていた巻物を勧進帳と偽り、滔々と読んで聞かせます。これが有名な勧進帳の読み上げ、見どころの一つです。

弁慶の見事な勧進帳の読み上げを聞いて富樫はついに本物の山伏たちだと思い、通すことにします。ところが、一行の最後尾で強力(荷物持ち)に化けて歩いていた義経を、富樫は義経に似ていると引き留めます。やむなく弁慶は「急いでいるのにお前のせいで怪しまれた」と義経を杖で打ち据え、さらに止めようとする富樫に弁慶以下家来たちが詰め寄り、関を通ることを半ば無理やり認めさせてしまったのです。

無事に関を通った後、富樫は無礼のお詫びとして酒を持ってきます。弁慶は油断させる罠であると警戒しながら酒を飲み、富樫の所望に応じて延年の舞を舞い、立ち去っていったのでした。

この『安宅』をそっくりそのまま取り入れて作られたのが歌舞伎の『勧進帳」です。『勧進帳』の初演は天保十一年(1840年)、主演の弁慶は七代目市川団十郎(当時五代目市川海老蔵)で、団十郎はこの作品を含む十八の作品を選び、団十郎の家の芸を集めた「歌舞伎十八番」と命名しました。

先行芸術であり、江戸時代は武士の式楽として高い権威を持っていた能から、歌舞伎は多大な影響を受けていますが、たいてい、同じテーマを取り上げる場合でも歌舞伎なりの解釈や味付けを施し、色合いの異なる作品に仕立て上げられているのが普通です。

ところが、この『勧進帳』はストーリーはほとんど能のまま、能の謡の文句もかなりの部分がそのまま取り入れられているなど、能の『安宅』に非常に近くできあがっています。これは『安宅』が、一般の演劇に近い“いわゆる能らしくない”作品であるということも一つの理由ですが、歌舞伎の『勧進帳』を作ったスタッフが歌舞伎化に失敗したという見方もできるでしょう。実際、初演の『勧進帳』はあまり評判が良くなかったようで、七代目団十郎も一度しか演じていません。

実は、『安宅』を元にした作品は、現行の『勧進帳』以前にいくつもありました。今の『勧進帳』が決定版になったのは、明治時代、九代目団十郎が演じてからのことです。以来、『勧進帳』は歌舞伎屈指の人気作品として“またかの関”と陰口を叩かれるほど数多く上演されてきました。

ストーリーがほとんど同じ『安宅』と『勧進帳』ですが、決定的に違う点があります。それは、能の『安宅』が、弁慶たちの勢いに富樫が押され、半ば脅されるように通してしまうのに対し、歌舞伎の『勧進帳』は弁慶と義経の主従愛に心を動かされた富樫が罰を覚悟で義経たちを通すという点です。

主人である義経をあえて打擲しなければならなかった弁慶の苦衷、それを知ってわざと関所を通す富樫の情。何とも浪花節的情景ですが、これが明治から昭和にかけての日本人の琴線に触れたのです。

弁慶は、自らの情(主人に対する忠誠心)を殺して任務を遂行する、富樫は任務を無視して情を通す。簡単に言えばこれが『勧進帳』の図式です。それが、日本人(それも特に男性)の心を捉えたのは、観客である彼らもまた同じような思いを抱いていたからでしょう。明治から戦前まで(戦後も)の日本人は、社会のしがらみ(義理)と自分の思い(情)の板ばさみに苦しんでいました。だからこそ思いやりのある上司(義経)、情の分かる他者(富樫)、そして情に流されない自分(弁慶)が描かれた『勧進帳』は理想的な作品となったのでしょう。

『勧進帳』は、歌舞伎の代表作品と言っても過言ではない作品ですが、最も歌舞伎的な作品とは言えません。ただし、ある時期における日本人の心情を色濃く反映した作品であることは間違いないようです。

(田村 2006.12.25初出)

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