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洛中洛外図屏風 |
応仁の乱から安土桃山時代にかけての時期は、日本の歴史の中でももっとも変動の大きな時代と言えるでしょう。政治的には下克上という言葉に代表される戦国のダイナミズムが世を席巻し、社会的にも各地での経済活動が活発化、高い経済成長によって町人が力を蓄え、社会への発言力を強めていった時代でもあります。
経済・文化の中心地である京都は、市街が何度も焼け野原にされた応仁の乱によっていったんは人口が激減しますが、経済成長とともに急速な復興を遂げ、以前にも増した繁栄を謳歌するようになります。そんな時代に生まれた絵画の一ジャンルが「洛中洛外図」です。
京都のことを別名「京洛」と言いますが、これは京都がそもそも東側を洛陽、西側を長安という唐の二つの都に模して作られたことに由来します。大内裏を中心に東西に整然と区画された平安京ですが、結局湿地帯の西側は寂れてしまい、東側が区画を超えて発展していきます。これによって京都市内のことを「洛中」と言うようになり、それとともに郊外を「洛外」と呼ぶようになったようです。
洛中洛外図とは、京都の市内および郊外を描いた絵のことを意味します。絵画には、風景画、風俗画、人物画(肖像画)、静物画など、その題材によっていろいろなジャンルに分けられますが、洛中洛外図は風景画と風俗画が合体したものと言えるかもしれません。その特徴は、京都の町が一望のもとになる広大な画面に人々の風俗が緻密に描きこまれているという点にあります。
洛中洛外図のほとんどは、屏風の形で作られています。屏風には、一つながりに出来ているものの他に左右で一対になっているものがあります。これを「一双」と言いますが、洛中洛外図の多くは六曲(六面に分かれて折りたためられるようになっているものを言う)一双に作られており、全体としては横長の大画面(縦が人の背の高さほどで横は数メートルに及ぶ)で構成されています。
この大画面に、京都の名所の数々や四季の移り変わりという時系列の変化を織り交ぜながら、数千もの人々が生活感たっぷりに描かれているのです。比較的簡素なデザインが多い日本絵画では珍しく物量のエネルギーに満ちたものであり、実物の前に立って眺めるとその存在感は圧倒的です。
洛中洛外図屏風が最初に作られたのがいつかは分かりませんが、文献にはじめて登場するのは十六世紀初頭の公家の日記です。それによると、戦国大名である朝倉氏が土佐光信に作らせたとあります。
現存する最古の洛中洛外図屏風は、国立歴史民俗博物館が所蔵する「町田本」と呼ばれるもので、絵師は狩野派、制作年代は1520年代と推定されています。この屏風絵を一目見て強い感銘を覚えるのは、絵全体が、高い視点からのいわゆる俯瞰で描かれているという点です。
周囲を一望にできるような超高層建築物があちこちにあり、航空写真も簡単に手に入る現代と違い、この当時に俯瞰視点で京都全体を描くとなると、寺院の塔や丘などの高所を複数確保し、観察しなければなりません。
この町田本は幅広い範囲がかなり正確に描かれているようですが、それに十分なだけの観察場所があったかというと疑問です。おそらくはある程度の高い場所からの観察と平地での一般的な風景を組み合わせて描いたのではないかと思いますが、描いた絵師の並々ならぬ構成力が窺われます。
町田本の後、たくさんの洛中洛外図が作られますが、そのほとんどが俯瞰視点で描かれていることを見ても、俯瞰で描かれた京都の全景がいかにインパクトがあるものだったかということが分かります。
数ある洛中洛外図屏風の中でも最高傑作と言われているのが、町田本の少し後に作られた通称「上杉本」(米沢市上杉博物館所蔵)です。この屏風を作ったのは狩野派の巨匠狩野永徳で、なんと織田信長が上杉謙信に贈ったという歴史的にも意義がある作品です(信長が描かせたとは限らず、既にあったこの屏風を信長が入手して贈ったという説もある)。
この屏風絵は、画面全体に雲を表す金泥がふんだんに使われており(照明の反射板としての機能も考えられていたのかもしれない)、極めて豪奢な印象を受けます。金雲の合間には建物や人物が描かれていますが、描かれた人物の総数は約二千五百人と言いますから、小さな町ひとつくらいの人口が一双の屏風に描かれているわけです。
描かれている人々は実にさまざま。御所や大きな屋敷に詰めている武士や小者がいるかと思えば往来には托鉢僧、巡礼、物売りや遊女などが、当時の服装のまま活き活きと描かれています。
ふつうこれだけの人数を描くとなると、類型化されて活気が失われそうなものですが、さすがは狩野永徳、一人一人を細かく見ていってもきちんと描き分けられています。そして、細部に至るまで描き分けられた人々こそ、この屏風を見るものを引き付けてやまない最大の魅力なのです。
実際、この屏風絵の前に立つと、時間が経つのも忘れて眺めいってしまうという人は少なくないでしょう。いったい何がそんなに面白いのか、その理由を考えてみると、ひとつには戦国末期から安土にかけての人々の風俗はどういったものだったのかという純粋な好奇心があるかと思います。当時の風俗を同時代の一流絵師が正確に描いているわけですから、忠実な姿を伝えているに違いありません。もちろん、学術的にもかなり資料価値が高いと思われます。
ただ、私はこの屏風絵を眺めていると、知的好奇心よりももっと違う感動を覚えます。それは、四百年以上も昔に生きていた人たちが、そのままの形で自分の目の前に現われたことへの感動です。写真がない時代の、写真でも伝えることが難しい人々の多様な生活が、絵によって現実感を伴って再現されている、それが何とも不思議な感動を与えるのです。
それは、どんなに風俗が変わったとしても人間の本質は何一つ変わらないのだということを、数百年も前に作られたこの古い屏風が実感させてくれるからなのかもしれません。
(田村 2007.3.5初出)
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